大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)5562号 判決 1991年2月19日
原告
大田博一
右訴訟代理人弁護士
大深忠延
同
斎藤浩
被告
国
右代表者法務大臣
左藤恵
右指定代理人
白石研二
同
高橋利幸
同
大橋正勝
同
佐藤暉二
同
上村雅道
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金三八九〇万九八三五円及び内金三五四〇万九八三五円に対する昭和五七年八月一七日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和二七年四月一日に採用されて以来、大蔵省近畿財務局に勤務している大蔵事務官であり、後記の本件事故当時、国有財産鑑定官として同局管財部に勤務していたものである。
2 事故の発生及び原告の上司らの違法行為
(一) 原告は、昭和五〇年一一月二七日、大阪合同庁舎第二号館近畿財務局庁舎内の二階から一階に通じる二つの西側階段のうち南側の階段を踏み外し、数段下の踊り場に転落して腰部を強く打撲した(以下、「本件事故」という。)。
(二) 本件事故は、原告の上司である近藤隆首席国有財産鑑定官(以下、「近藤首席」という。)及び中尾良蔵国有財産鑑定官(以下、「中尾鑑定官」という。)が、本件事故当時原告の健康状態がよくないことを知っていたのであるから、上司として、部下である原告が職務を遂行するに当たってその生命及び健康等を危険にさらされることのないように配慮すべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、原告に対して過大な業務の遂行を強いた違法行為により発生したものである。
即ち、原告は、もともと健康状態が良い方ではなかったものの、国有財産鑑定官としての通常の勤務を続けていたところ、昭和五〇年九月一一日、旧大阪大学薬学部跡地の鑑定評価業務(以下、「本件業務」という)を近藤首席から命ぜられた。
この業務は、国有財産近畿地方審議会付議案件であり、この評価対象物件は規模、価格の面で大きく、作業量も膨大であった。
それにもかかわらず、与えられた期間は極めて短く(二週間程度ということであった)、その期間内に完成することは、通常不可能なものであった。また、本件業務は、他の鑑定官が同年三月から同年九月まで担当しながら、全く完成できなかった業務であり、しかも、右鑑定官の収集資料や必要図面に初歩的な誤りがあり、これらを再調査したり、不足していた必要図面等を急遽作製するなど、むしろ右鑑定官の行った作業との調整をする手間の方が煩わしかったものである。
したがって、本件業務は、右のような短期間で完成するのは通常不可能なものであり、このことが予測されたので、原告は、自己の健康が勝れないことをも説明して本件業務を担当することを断ったのであるが、近藤首席は、原告に対し右業務を命じ、中尾鑑定官も原告の机の横に座り込んで右業務を押しつけたものである。
当時、原告は、前記のとおり健康状態は良好でなく、健康診断の結果に基づく昭和五〇年六月一六日付健康管理指導区分書により、C1の指導区分の指定を受け、深夜勤務、時間外勤務及び出張の制限の勤務制限を受けていたものであり、このC1という指導区分は、要注意、要治療の状況にあることを意味し、ほぼ正常の勤務(八時間)でよいが、激しい業務や運動及び宿日直、残業等は避けて、勤務外の時間はできるだけ休養をとり、必ず医師の治療を受けることとの注意事項となっているものである。そして、右指導区分書は近畿財務局長名で本人宛に通知されるものであるが、管理者に対しても当然知らされるべきもので、近藤首席及び中尾鑑定官らも原告が右のような健康状態にあることを知っていたはずであるから、上司として、部下である原告の生命及び健康等を危険から保護するように配慮して、極端に過大な業務を与えることを避けるべき注意義務があったというべきである。しかるに、近藤首席及び中尾鑑定官は、右のような配慮をすることなく、過大で短期間に完成するのが通常不可能な本件業務を原告に押しつける違法行為を行った。
その結果、原告は、残業及び休日出勤による長時間の超過勤務を行って短期間に本件業務を完成させることを余儀なくされ、精神的にも肉体的にも極端な疲労困憊の状態に陥り、このような状況の下で、膝の力が抜けたようになって階段を踏みはずし、前記のとおり転落したものであるから、本件事故は、近藤首席及び中尾鑑定官の前記違法行為によって発生したものといわなければならない。
3 被告の責任
(一) 近藤首席及び中尾鑑定官は、被告の公務員として、部下に対する職務上の命令を行うことなど公権力の行使をする権限を有していた。
(二) したがって、被告は、国家賠償法一条一項により、その公権力の行使として近藤首席及び中尾鑑定官がその職務を行うについてなした前記違法行為によって原告に加えた損害を賠償する責任がある。
4 損害
(一) 原告は、本件事故により、腰部を強く打撲した結果、脊髄出血の傷害を受け、右傷害のために腰部・両下肢の弛緩性麻痺、著しい筋萎縮、疼痛をともなう膀胱機能障害及び直腸障害を発症(後遺障害)し、身体障害者等級第一級の認定を受けているが、右傷病により、次のとおり入通院して治療を受けた。
(1) 昭和五〇年一一月二八日から同年一二月一日まで馬越医院に通院
(2) 昭和五〇年一二月二日から昭和五三年七月一〇日まで大手前病院入院
(3) 昭和五三年七月一一日から現在まで大手前病院通院
(二) 右受傷によって原告が受けた損害の額は次のとおりである。
(1) 入院中の付添看護費 五四四万六〇〇〇円
原告は、前記入院期間中、当初の一八日間は昼夜の常時付添看護を、その後の一年間は昼間の付添看護を、その余の入院期間中は随時付添看護をそれぞれ要したので、当初の一八日間につき一日当たり一万円、その後の一年間につき一日当たり五〇〇〇円、その余の入院期間につき一日当たり三〇〇〇円、合計五四四万六〇〇〇円の付添看護料相当の損害を被ったものというべきである。
(2) 将来の介護料 五九七万八三三五円
原告は、本件事故による受傷のために身体障害者等級第一級の身体障害者となったものであるから、少なくとも一日あたり一〇〇〇円の終身の介護料が損害として認められるべきであるところ、原告は、昭和七年二月一三日生まれであり、昭和五五年簡易生命表によれば原告の余命は二六・五四歳であるから、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、右介護料の現価を計算すると、五九七万八三三五円となる。
(算式)
一〇〇〇×三六五×一六・三七九=五七九万八三三五
(3) 入院雑費 四七万五五〇〇円
原告は、前記のとおり九五二日間入院していたものであるが、その期間を通じて、少なくとも四七万五五〇〇円の入院雑費の出費を要した。
(4) 入通院慰藉料 七五一万円
(5) 後遺障害慰藉料 一六〇〇万円
(6) 弁護士費用 三五〇万円
6 よって、原告は被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、右損害合計金三八九〇万九八三五円及びうち弁護士費用を除く金三五四〇万九八三五円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五七年八月一七日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2(一)の事実は否認する。
原告主張の転落の事実は、これを現認した者がいないこと、原告は入通院による加療中担当医師に対して転落の点を述べていないことなどからも、存在しないといわざるを得ない。
3 同2(二)の事実のうち、原告が本件業務を近藤首席から命ぜられたこと、及び原告が本件業務を担当した当時C1の健康管理指導区分の指定を受けていたことは認めるが、その余の事実は否認する。
本件業務は、以下に述べるとおり、原告にとってその主張のように過重なものではないし、原告が階段から転落したと主張する昭和五〇年一一月二七日当時、原告は本件業務によって疲労困憊の状態に陥っていたというようなこともなかったから、原告が本件業務を命ぜられたことと本件事故及び原告主張の脊髄出血の発病との間には相当因果関係はない。
(一) 国有財産鑑定官であった原告にとっては、本件業務のような不動産鑑定業務は通常の業務であり、特に肉体的、精神的負担が大きいというものではなかった。
(二) 本件業務が最も忙しかった時期は、昭和五〇年九月であり、原告は、同月には若干の残業をしているものの、休養を十分に取っており、決して無理な業務状況ではなかった。そして、同年一〇月初めころには鑑定評価はまとまっていたのであるから、同月九日以降はいわゆる残務整理が中心であって残業をすることはほとんどなくなり、特に同月二九日に国有財産近畿地方審議会が開催されてから本件事故までは平常勤務であった。
(三) 原告は、身体的負担の大きい海釣りを趣味にしており、原告主張の本件事故直前である昭和五〇年一一月八日には、早朝から和歌山県湯浅町方面に海釣りに出かけており、さらに、同月二四日には同じく湯浅町方面に、同月二九日から同年一二月一日にかけては同県串本町方面に、それぞれ海釣りに出かける予定を立てていたものである。このように身体的負担の大きい海釣りに何度も出かけようとする気力及び体力が残されていたということは、原告が本件事故当時疲労困憊していなかったことの一証左であるといわなければならない。
(四) 原告は、昭和三三年ころから本件事故当時まで、副業として、洋服仕立業を営んでおり、月平均一〇着程度の洋服を作っていた。原告は、国家公務員であって右洋服仕立て業を行えるのは、退庁後の夜間または休日等に限られるから、時には夜遅くまで忙しく働く必要があり、これによる肉体的負担は相当なものであったはずである。したがって、仮に原告が本件事故当時過労の状態であったとすれば、それには右の公務外の過重な労働も原因になっていたというべきである。
(五) 原告は、本件発病当時、肺結核による健康指導区分の指定を受けていたが、特段時間外勤務を禁止されていたものではなく、本件業務を担当するに際して、原告本人からの健康上の申出は何ら存在せず、本件業務を遂行するうえにおいて、原告の健康状態が危惧されるような兆候は何ら存在しなかった。
4 同3のうち、被告に責任があるとの主張は争う。
5 同4(一)のうち、原告が、原告主張の傷病に罹患したこと、原告主張のとおり入通院して治療を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。
6 同4(二)の事実はいずれも知らない。
三 抗弁(消滅時効)
仮に、本件事故の発生について被告に何らかの責任があるとしても、原告は昭和五〇年一一月二七日の本件事故の発生の時点で、本件事故発生の原因(上司の違法行為)及びそれによって自己が損害を被ったことを知り得たはずである。そして、本訴提起時には、右時点から三年以上を経過していた。
そこで、被告は、右消滅時効を援用する。
四 抗弁に対する認否。
抗弁事実中、原告が本件事故の発生の時点でその原因である上司の違法行為及び損害を知り得たとの主張は争う。
本件事故による受傷の後遺障害である原告の両下肢麻痺及び膀胱直腸障害の症状固定時期は昭和六〇年一一月一日であり、原告はその時点まで損害を知ることができなかったものである。
第三証拠(略)
理由
一 原告が、昭和二七年四月一日に採用されて以来、大蔵省近畿財務局に勤務している大蔵事務官であり、本件事故当時国有財産鑑定官として同局管財部に勤務していたこと(請求原因1)は、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に成立に争いのない(証拠略)を総合すれば、原告は、右採用以来、国有財産の管理処分事務に従事し、主任及び係長に順次昇進したのち、二〇年余りの国有財産の管理処分業務の経験を通じて不動産の鑑定評価業務に精通していたところから、昭和四九年七月一六日に不動産鑑定評価の専門職である国有財産鑑定官に配置換され、その後は専ら国有財産の鑑定評価業務に従事していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
二 (証拠略)を総合すれば、原告が本件事故発生の原因として主張する勤務の状況及び健康状態として、以下の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 原告が本件業務を担当するに至った経緯について。
(一) 本件業務は、大阪府豊中市刀根山六丁目一番地外二筆の旧大阪大学薬学部の跡地約三万八四九七平方メートルの鑑定評価業務で、昭和五〇年一〇月二九日に開催予定の国有財産近畿地方審議会付議案件とされ、同年五月ないし六月ころから近畿財務局管財部国有財産鑑定官室において本評価に着手しはじめていたものである。本件業務は対象物件の面積が広く、また丘陵を雛壇型に造成した地形で、一部に山林、畑を含んでいたことなどから、当時同鑑定官室に係属していた鑑定評価業務の中で、最も困難かつ大規模な業務の一つであった(なお、右跡地上の旧大阪大学薬学部の建物及び動産の鑑定評価も並行して行われており、これも本件業務に劣らない程度に困難かつ大規模な業務であった。)。
(二) 右当時の近畿財務局管財部国有財産鑑定官室は、首席国有財産鑑定官(昭和五〇年七月一日以降近藤首席がその職にあった。)一名のほか、その下に事実上の課長補佐である中尾鑑定官、三ないし四名の国有財産鑑定官を一グループとする班が三班(班長名をとって、中山班、池田班、渋江班とそれぞれ称されていた。)及びその他の係員の合計一四ないし一五名の人員で構成されていた。原告は、主に土地の評価を担当する池田班に属していた。
(三) 本件業務は、本評価の着手当時から、池田班の担当業務とされ(なお、その前年の昭和四九年度にも、右本評価の前提として、右跡地の概算評価が行われ、これも池田班が担当していた。)、班長である池田国有財産鑑定官(以下、「池田鑑定官」という。)が担当していたが、昭和五〇年八月中旬ないし下旬ころに至って、同人が近藤首席に対して、本件業務を完成することができない旨申し出てきた。そこで、近藤首席は、池田鑑定官を右担当から外し、中尾鑑定官と相談のうえ、前年度から右跡地の鑑定評価(概算評価)を担当していた池田班に所属して右評価に協力したことがあり、有能でもあった原告に、本件業務を担当させることにした。
(四) 同年九月一一日ころ、近藤首席は原告に対して、本件業務を同月末までに完成するように命じたところ、原告は、即答はしなかったものの、結局、本件業務は難しいだけにやりがいがあると思って、右期限を承知のうえこれを引き受けた。
2 本件業務担当中の原告の勤務状況について。
(一) 原告が、本件業務に関し、従事した仕事の概要は次のとおりであった。
対象土地の現地調査を行って土地測量図、想定造成図等の必要図面を調整し(但し、業者に発注したものもあった。)、これに基づき、複数の民間精通者(不動産鑑定士等)に鑑定評価を委嘱して、これとの打合せ、現地案内等を行うとともに、自らも大蔵省の評価基準に依拠して鑑定評価を行ったが、その際、対象土地は、前記のとおり面積が広く、山林、畑等も含まれているところから造成整地費の控除等の広大地修正を行って評価額の算定を行った。なお、右の必要図面は、池田鑑定官が既に収集、調整していたが、不十分なものもあったので、一部は原告において調整し直し、また、右の鑑定評価に際しては、対象土地と類似する物件の取引価格と比較する方法も用いたが、そのための取引実例の調査は池田鑑定官が既に行っていた資料を引き継いだものの、右引継資料には誤りがあって再調査をしなければ使いものにならないようなものもあったため、一部原告において再調査を行った。
そして、右のようにして算定した評価額と民間精通者の鑑定評価額を総合検討した結果に基づいて、評価調書及び補足説明書等の関係書類を作成し、大蔵省本省に赴いて鑑定評価の結果を説明し、その承認を得て、国有財産近畿地方審議会に付議した(なお、右審議会の開催に向けての打合せに関与したり右審議会自体に参加することは、原告の職務の内容に含まれておらず、原告はこれらに関与しなかった。)。
(二) 原告は、昭和五〇年九月一二日ころに本件業務に着手し、前記各方法による価格算定作業を行い、同年一〇月三日ころ、民間精通者の鑑定書も提出されたので、原告は鑑定評価の総合検討を行ったうえ、同月八日ころに評価調書等の関係書類を作成して、大蔵省本省に発送した。そして、同月一三日及び一四日に大蔵省本省に赴いて鑑定評価内容の説明を行い、これにより本件業務の主要部分は完了し、その後は、評価調書を点検し、補足説明書等の前記審議会に付議するための資料の作成やその他の残務整理等の作業に従事していた。
(三) 原告は、本件業務を行うため、昭和五〇年九月一二日に右着手してから評価調書等の関係書類を作成するまでの間、残業勤務を、同年九月中には平日に合計約二四時間、土曜日に合計約一〇時間行い、同年一〇月中には合計約五時間行った。さらに、同年九月一五日及び一〇月一〇日の祝日にも出勤した。
しかしながら、それ以外の休日(合計六日)はいずれも休養しており、また、評価調書等の関係書類の作成が完了した同年一〇月八日から原告が本件事故発生の日であると主張する同年一一月二七日(以下、単に「本件事故日」という。)までの間においては、原告は、大蔵省本省へ出張の際に早朝に出張したことを除くと、取り立てていうほどの超過勤務はしなかった。
3 原告の健康状態について。
(一) 原告は、昭和四六年四月一四日に行われた定期健康診断の結果、高血圧症を指摘され、健康管理指導区分D2(正常生活でよいが、激しい業務や運動はひかえること。治療の必要はないが、月一回は皿圧測定を受けること。)の指定を受けた。その後昭和四七年まで右指定が続き(なお、昭和四七年九月一二日に行われた定期健康診断の結果では、糖尿境界域の指摘がなされている。)、昭和四八年四月一九日に行われた定期健康診断の結果では、同じく高血圧症により、また、同年九月一〇日に行われた定期健康診断の結果では、高血圧症及び心筋障害により健康管理指導区分D1(正常生活でよいが、激しい業務や運動はいけない。医師による治療を必ず受けること。)の指定をそれぞれ受けた。さらに、昭和四九年一〇月二五日に行われた定期健康診断の結果、線維乾酪型結核、浸潤乾酪型結核を指摘され、健康管理指導区分C1(ほぼ正常の勤務でよいが、激しい業務や運動及び宿日直、残業等はさけること。なお勤務外の時間はできるだけ休養を取ること。医師による治療を必ず受けること。)の指定を受け、原告が本件業務に従事していた当時も、右指導区分による健康管理指導を受けており、深夜勤務、時間外勤務及び出張を制限する旨の勤務制限がなされていた。
(二) 原告は、右のとおりの内容の健康管理指導を受けていたが、同年九月一一日ころに近藤首席から本件業務の担当を命ぜられた際、自己の健康状態を理由に本件業務の担当の拒絶の申し出をしたことはなかったし、その後、残業等の続いた同年九月から一〇月にかけて、特に体調の不調等を訴えたことはなく、その後においても、本件事故日の直前まで体調の不調等を訴えたことはなかった。
4 原告のその他の生活状況について。
原告は、昭和三八年ころから海釣りを趣味としており、毎年数回和歌山県等に出かけて海釣りをしていたが、本件事故日の一九日前である昭和五〇年一一月八日には、休暇をとって早朝から和歌山県湯浅町(原告の住居のあった大阪から約一〇〇キロメートル離れている)の釣り船に乗って海釣りをした。また、同月二四日(振替休日)には、同じく和歌山県湯浅町の釣り船を予約していたが、強風のためこれをキャンセルした。
さらに、原告は、同月二九日から同年一二月一日にかけて、和歌山県串本町(大阪から約二二〇キロメートル離れている。)の釣り船を予約していたが、後記のとおり発病したため、キャンセルした。
5 原告の脊髄出血の発病について。
(一) 原告は、昭和五〇年一一月二八日の正午ころから熱発したので、勤務を終えて帰宅したのち、高熱と咽頭痛を訴えて自宅近くの馬越診療所を受診したところ、感冒と診断され、投薬による治療を受けた。次いで、同年一二月一日にも高熱と腰痛を訴えて同診療所を受診し、湿布、鎮痛剤の投与等の治療を受けた。ところが、同日午後から、下肢のしびれ感、運動感覚麻痺の症状が現れはじめたので、同日夕方に再度同診療所を受診し、さらに翌同月二日にも同診療所を受診したところ、出血性脊髄炎又は灰白質炎の疑いがあるとして、大病院への入院を勧められた。
(二) そこで、原告は、同日中に大手前病院に入院したが、入院時、両下肢の弛緩性麻痺が著明で、下肢の運動は不能であり、典型的な膀胱・直腸障害も認められたので、急性脊髄炎が疑われたが、その後の脊髄液検査の結果で明らかに出血が認められたため、脊髄出血と判断され、消炎鎮痛剤、神経機能賦活剤、ビタミン剤の投与等による治療及びリハビリテーション並びに膀胱障害の合併症である膀胱結石、尿路結石等の治療等が行われたが、両下肢弛緩性麻痺、筋萎縮、膀胱・直腸障害が残ったままで、昭和五三年七月一〇日、同病院を退院し、以後同病院への通院を継続している。
なお、同病院入院当時、前記のような脊髄出血による症状を除くと、原告の心・肺機能、血圧、血糖値等には特に悪化しているような所見は認められていない。
三 そこで、以上認定の各事実を前提に、被告の国家賠償法一条の責任の有無について検討する。
1 原告が右責任の根拠として主張するところは、要するに、近藤首席及び中尾鑑定官の違法行為により、原告が過重な本件業務に従事することを余儀なくされ、このため昭和五〇年一一月二七日当時に精神的にも肉体的にも疲労困憊の状態に陥ったことにより、膝の力が抜けて階段から転落し、脊髄出血等の傷害を負ったというものであるから、まず、原告が昭和五〇年一一月二七日当時、その主張のように精神的にも肉体的にも疲労困憊の状態に陥っていたかどうかについて検討することとする。
(一) 本件業務は、当時鑑定官室に係属していた鑑定評価業務の中で、最も困難かつ大規模な業務の一つであり、本件業務を約二〇日間で完成するように命じられたが、実際には一月以上の期間を要し、しかも、その間に合計約三九時間の残業を行い、休日出勤も二日に及んでいることからすると、定期健康診断の結果、C1(要注意、要治療)の健康管理指導区分の指定がなされ、深夜勤務、時間外勤務及び出張制限の勤務制限がなされるというような健康状態にあった原告にとって、右残業等の重なった時期には、本件業務の担当は、精神的にも肉体的にも相当の負担となっていたであろうことは容易に推測しうることである。
(二) しかしながら、原告は、右残業等の重なった時期(昭和五〇年九月一二日ころから同年一〇月八日ころまで)においても、休日出勤した二日間以外の合計六日の休日はいずれも休養しており、この間に仕事を自宅に持ちかえったことをうかがわせるような証拠もないこと、右残業等の重なった時期と本件事故日である同年一一月二七日との間には一月以上の間隔があり、この間原告は取り立てていうような超過勤務はしておらず、右残業等の重なった時期及びこれに続く本件事故日までの間に、原告が上司、同僚等に対して特に体調の不調等を訴えたことはなかったこと、原告は、本件事故日の一九日前に、自宅から約一〇〇キロメートル離れている和歌山県湯浅町に早朝から出かけて釣り船で海釣りをしており、本件事故日の三日前には、強風のためキャンセルしたものの、同じく和歌山県湯浅町の釣り船を予約しており、さらに発病等のためにキャンセルしたものの同年一一月二九日から同年一二月一日にかけても、自宅から約二二〇キロメートル離れている和歌山県串本町の釣り船を予約していたこと等の事情に照らすと、右残業等の重なった時期には、本件業務の担当が精神的・肉体的負担となり、相当疲労が重なっていたとしても、原告が本件事故があったと主張する昭和五〇年一一月二七日当時には、既に本件業務を担当する以前の原告の通常の身体的状況に復していたものと考えられ、右当時まで疲労が残存し、歩行中に急に膝の力が抜けて階段から転落するほどの疲労困憊の状態にあったとは認め難い。
2 したがって、昭和五〇年一一月二七日に原告主張の本件事故が発生したとしても、原告が本件業務を担当したために本件事故が発生したということはできず、したがって、本件事故の発生と近藤首席及び中尾鑑定官が原告に本件業務の担当を命じたことの間に相当因果関係があるということはできない。
四 そうすると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないことが明らかであるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 笠井昇 裁判官 本多俊雄 裁判官 中村元弥)